日記

2025年12月3日(水)

日記を書く理由      


「うつ病者は大事なものを徹底的に手入れして自分そのもののように愛す。それは触れられるものだけでなく仕事や家でもある。私たちは仕事にシンクロし、一体化し、自分を世話するかのように隅々まで手をかけて仕事を作り込んでいく。しかし、仕事に同一化して環境へ配慮しすぎている私たちの本体は剥き出しで痩せ細り、脆弱な核を露出している。環境の大きな変化は、懸命に作り上げて肥え太らせて手入れしてきた自己の分身、本体よりも本体のつもりになっていた分身を剥奪してしまう。そこで露呈する弱く小さく貧しい自己がうつ病の主体である。私たちはそこでせめてもの罪悪感で責任ある主体であることを保つ。それこそが抑うつである。
抑うつがギリギリで補償しているのが原初の喪失、そもそも私たちは特別な対象と完璧な一体化などできないということである。私たちはその悲劇を受け入れて小さな自己のまませめてもの代替物を愛でて傷を塞がなければならなかったのに、あろうことか大きなものに一体化することで傷から目を背けてきた。ただ私自身そんな私たちを責めきれない。私たちは自己の傷を保護するものを、言葉を、愛を——あくまで幻想の水準で——もらい損ね、自分のものにし損ね、誰かの言葉に、愛に、飲み込まれてしまった。だから人から認められることでしか価値を確かめられない。だからちょっとしたことで存在そのものが揺さぶられる。」
連載:臨床と文学 第1回 さみしさ(精神科医:増茂悠人)#臨床と文学